わたしのしかばねをこえてゆけ
Over My Dead Body

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私の悲惨エピソード Part6

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私はよくトラブルに遭遇する。
というかトラブルメーカーだったりする。

人生の幾多のトラップを乗り越えて生きています。
というか私がバカだというウワサも…。

言うまでもなく、全て実話です。



<今までの主な悲惨エピソード>


★幼稚園の頃からエロ本に興味があった私。

中学生のとき、クラスの男子に「エロ本貸して」と言われて翌日何冊か選んで持って行った。

そしたら「本当に持ってきたの?!」と先生にチクられた。

当然没収され、職員室に呼び出されるハメに。

先生も女子生徒である私に何と怒ればいいか困った様子。

「あなたは美術に興味があるから、こういった女性の裸に興味が湧くのかもしれないけど…」

と大人なりの叱られかたをされた。

私の人生終わった…と感じた瞬間だった。



★2000年(平成12年)3月8日午前9時1分頃、日比谷線脱線衝突事故。乗客5人が死亡、64人が負傷。

まだ記憶に新しいかたも多いと思う。

中目黒駅のすぐ手前のところで急カーブから脱線した菊名行き車両に逆方向を走る竹ノ塚行きが側面衝突した。

私はその頃、菊名に住んでいて銀座でバイトをしていた。

その日はB番シフトで10時出勤。

いつも通り9時過ぎに菊名駅に着くと物凄い人だかり。何度もアナウンスで「中目黒駅にて事故発生…」と流れる。

菊名駅で1時間半ほど待っただろうか。ようやく動き出した。

中目黒駅を出てすぐ、右側に橋があるのだがそこにマスコミや野次馬がわんさかいた。

そして事故車両が電車の窓から見えた。

側面をもぎ取られ、大破した座席などが見える。

私がその日、もしA番シフトだったら衝突した電車に乗っていた。そしてまさに衝突した車両部分に乗っていたはずなのだ。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



こんな幾多のトラップを乗り越え、私は今も元気に暮らしております。


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私の悲惨エピソード Part5

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私はよくトラブルに遭遇する。
というかトラブルメーカーだったりする。

人生の幾多のトラップを乗り越えて生きています。
というか私がバカだというウワサも…。

言うまでもなく、全て実話です。



<今までの主な悲惨エピソード>




★ずっと好きだった人とエッチしました。

その後、その人は私の尊敬する師匠(男性)に体の関係を強要され何度かそういったことをしている人だと知りました。

師匠がホモだということも知ってダブルパンチ。


★ヨーロッパで放浪の旅をしていた際、マルセイユに降り立った駅構内で財布を盗まれ、銀行カードの再発行のためすぐにローマ行きの列車へ。

ヨーロッパのローカル列車はよく個室(6人がけくらいのボックス席でドアつき)になっており、落ち込んでいた私は誰もいない個室を選んでローマに向かっていた。

そのとき、いきなり個室に入ってきた男にレ○プされた。(重い…)


★お土産をたんまり買って帰国。

成田空港でカートに大量のお土産を乗せて外のタクシー乗り場で待っていたときのこと。

重いカートを少し手前に引いた際、車輪が足の親指にぶつかった。

その瞬間、足からドバドバと血が流れ出してきた。親指の爪が根元からはがれたのだ。

硬直していたら、向こうから大勢の人間たちが。

「こちらでアントニオ猪木さんの記者会見をいたします!関係者以外はどいてくださーい!」

そんなこと言われても動けません。

私の状況を把握してもらえずに、記者会見は始まってしまった。

それが私のテレビ初出演だった。しかも猪木さんの隣。イエイ。

そんな浮かれてもいられない。

少し離れたところにいる一般人を発見して、「あの、申し訳ないんですけど空港のかた呼んでもらえますかね…」とお願いし不思議そうな顔をする女性にコレコレ、と足をさして「きゃぁっ!」と言われながらも、やっと救助隊到着。

初めての車イス。止まらない鮮血。

何とか常駐医に応急処置をしていただき無事に家まで帰ることができました。



こんな幾多のトラップを乗り越え、私は今も元気に暮らしております。



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私の悲惨エピソード Part4

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私はよくトラブルに遭遇する。
というかトラブルメーカーだったりする。

人生の幾多のトラップを乗り越えて生きています。

今回は重たい話しです。。。


言うまでもなく、全て実話です。



<今までの主な悲惨エピソード>



★社内ストレスで会社を辞めた。

会社を去る日に、社長が「あまり深刻に一人で考えすぎちゃダメですからね。」と声をかけてくれた。

半年後、その社長が会社の経営に悩み焼身自殺を遂げた。


★小さい劇団のプロデューサーをしていた頃。

本番2週間前に役者が交通事故で亡くなった。

原付でガードレールに突っ込み、バス停の標識に首を強打したらしい。

日曜の早朝で発見が遅れたことが致命的となり死亡した。

急遽、代役を立てて稽古していたキャスト・スタッフの代表として一人ご実家のお葬式へ。

とても「安らか」とは言えない死に顔にしばらく棺の前から動けなかった。

それが私の「知り合いで死んだ人」を見た初めての出来事だった。


★先日、おじいちゃんがカミングアウトした。

おじいちゃんの父親(私の曾祖父)が国●会の初代会長だった。

ややもすれば私はごくせんだ。

おじいちゃんは頭が良く、帝大(今の東大)に入って教師になったため後を継がなかった。

だが「○○(ウチの苗字)一家」として名前が残っていてその道の方々には通用している。




こんな幾多のトラップを乗り越え、私は今も元気に暮らしております。


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私の悲惨エピソード Part3

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私はよくトラブルに遭遇する。
というかトラブルメーカーだったりする。

人生の幾多のトラップを乗り越えて生きています。
というか私がバカだというウワサも…。

言うまでもなく、全て実話です。



<今までの主な悲惨エピソード>



★タラコが大嫌いだった私は克服しようと学校のお弁当にタラコチャーハンを作って持って行った。

昼休み後、授業中にお腹が痛くなりトイレへ。

どうやら夏場でタラコが悪くなっていたらしい。

上から下から大変だった私は1時間ほどトイレから出られなかった。

ようやく落ち着いて教室に戻ったらクラス中で私の大捜索をしていた。

教室に置いていった携帯電話にもクラスの子からの着信でいっぱいでした。みんなゴメン。


★朝まで打ち上げをし、荷物が多かった彼氏を手伝うために電車で1時間半かかる彼の実家まで一緒に帰った。

その時点で私は2日寝ていなかった。

彼氏の住む駅に着いた途端、「あ、バスが来てる!じゃぁね!」とバスに乗り込む彼。

知らない町に取り残された私。

彼氏のいる地元でひとり、駅前のマン喫で仮眠をとってから帰りました。


★車の運転が下手です。懲りずにマニュアル車に乗っております。

仮免は逆走したため一発不合格。その後、晴れて免許は取れました。

先日、親友の家(車で40分)へ行くため久しぶりに車を運転。

親友の家の付近まで来たところで道を聞くため道沿いの駐車場に一旦停車。

再びエンジンをかけようとしたら全く動かない。メーターパネルには全ての「注意!」「危険!」みたいな表示がズラッと点灯している。

そういえば走っているときメーターパネルにずっと赤い「!」マークが点いていた。

すぐに説明書を見たら、サイドブレーキを引いているとこのランプが点くらしい。

ということは、今まで30分以上もサイドブレーキ引いたままギアをトップまでいれて走ってきたのだ。

今まで道の真ん中で止まらなかったこの車に感謝しました。





こんな幾多のトラップを乗り越え、私は今も元気に暮らしております。


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私の悲惨エピソード Part2

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私はよくトラブルに遭遇する。
というかトラブルメーカーだったりする。

人生の幾多のトラップを乗り越えて生きています。
というか私がバカだというウワサも…。

言うまでもなく、全て実話です。



<今までの主な悲惨エピソード>




★女の子のお尻を触るのが大好きだった私。

女子高時代、いつものように友達のお尻を触ったつもりが振り返ったのは見知らぬ人。

その場を乗り切るため、「おしり星人だ~!」と叫びながら逃げた。


★街で可愛い女の子がいるとついて行ってしまう私。

しばらくついて歩いてたらその女の子に「あの…なんですか?!」とおこられた。


★学生の頃、終電を逃して木場から新横浜まで6時間歩いて帰った。

途中、品川あたりで始発が出ていたがもう意地で家まで歩いて帰った。


★あまり興味のない男性にずっと「付き合ってくれ」と言われていたので付き合ってみた。

結果、一週間で振られた。


★幼稚園時代、近所のお兄さんにいやらしいイタズラをされていた。




こんな幾多のトラップを乗り越え、私は今も元気に暮らしております。


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